三社祭の古い写真(2)

                                           以前の記事「三社祭りの古い写真」の続きです

前回は、宮神輿の写真から、撮影されたのは昭和3年5月の三社祭と推定しました。

次に、子供みこしの4枚の写真を見てみます。

同じ人物・場所が写っていますので連続で撮ったものと考えます。

神輿の位置で左から順番に並べてみました。(下の画像をクリックすると大きい画像が出ます)

前回の記事で、雷門ビルの工事現場の話を書きました。

見づらいかもしれませんが、写真の正面奥にうっすらとそれが見えますので

撮影場所は当店からすぐ脇の横丁(現在の一ノ宮商店会)と思われます。

 

子供たちは皆、お揃いの浴衣を着て担いでいます。

一番左の写真(子供みこし1)ですが

神輿を先導し・通り道を清める棒「おんべ」を持った少年がこちらを振り返っています。

カメラを持った人物が「こっちを向いて」と言ったようですね。

単に推測ですが、写真を撮っていたのは私の祖父で、

おんべ役だった私の父に声をかけて写したものじゃないかと思います。

大正9年生まれの父はこの年8歳なので年齢的にも合っていると思います。

 

お手伝いの鳶頭の半纏の背に「 材」という文字があります。

昭和9年まで当地の地名だった「材木町」の「材」です。

(その後「浅草雷門」さらに「雷門2丁目」と変わりました。)

「材木町」といえば、TVドラマ『仁』の診療所の所在

浅草「材木町」になっていました。 

 

さて、残りの4枚ですが

左の2枚は、当店前で撮影されたと思います。着物姿の人物は誰だか不明です。

3枚目の写真は、祭りの余興に仮設された舞台でしょう、

場所は芝生と置石から浅草寺の裏の広場の北側と思われます。

現在、三社祭の土曜日に神輿が勢揃いする場所ですが、

近年の改修ですっかり雰囲気は変わってしまいました。

 

4枚目の写真は、藤棚と塀の形から、伝法院(浅草寺の本坊)の庭園で撮影されたと思います。

町のお偉いさんの方々を芸者さんが接待しているようです。

 

以上10枚の『三社祭の古い写真』のお話を書きましたが

この写真のデータを、「浅草お祭りミュージアム」に寄贈しましたので

ミュージアム前の一番右モニターのスライドショーでも見ることが出来ます。